フランス最大の港町、マルセイユ。陽光あふれる旧港付近はいつでも、下町らしい活気に満ちている。パリに比べて人と人との距離が近く、日本でいうと大阪に例えられることも多い。様々な人種が入り混じって暮らす、ゴチャゴチャした雰囲気こそがこの町の魅力である。
この町の郊外に、建築に興味のある人が世界中から訪れる団地がある。ル・コルビュジェ建築のユニテ・ダビタシオン(集合住宅)だ。
18階立て、337戸のこの建物が完成したのは1952年のこと。政府から戦後の復旧計画の依頼を受けて作られたもので、それまで個人住宅を手掛けてきたコルビュジェにとって初めての公共の仕事であった。建築当時は、これほど背の高い住宅は周囲に存在せず、デザインも奇抜だったことから、近所の人たちから「ラ・メゾン・ドゥ・ファダ」(頭のおかしい人の家)と呼ばれていたという。
だが、住む人のことを徹底的に考えて作られたこの集合住宅は、のちに「垂直の田園都市」と謳われるようになる。そしてついに2016年7月、世界遺産に登録されたが、今も約1300人がこの「都市」に暮らしている。
彼はこの住宅を「シテ・ラディユーズ」(輝く都市)と名付けているが、彼の理想の都市とは一体どんなものだったのだろうか。
コルビュジェが目指したのは、建物全体をひとつの町として機能させること。住居スペースだけでなく保育園や商店、クリニック、体育室などを作り、建物の中だけで生活が成り立つようにしたのだ。今でこそ世界各地にあるこのような集合住宅だが、そのモデルとなったのがこのユニテ・ダビタシオンだった。
世界遺産に登録された今でも、1階ロビーと3階の商業スペース、屋上は誰でも入ることが出来るようになっている。3階には以前、商店街のように肉屋や八百屋などが並んでいたというが、現在残っているのはパン屋のみ。
スーパーマーケットの台頭により次々とつぶれてしまったのだとか。パン屋の店主は、今では数少ないここの竣工当時からの住人だという。消えゆくかつてのユートピアを一人で守ろうとする姿が、逞しくもせつない。だがかつての「町」は時代によって少しずつ形を変えながら、今も生き続けている。現在では郵便局やホテルのほか、建築家の事務所やデザイン系の書店などが入っている。ホテル「ル・コルビュジェ」は3、4階の2フロアのこじんまりしたもので、ここの住民が運営している。
また住居スペースの一部も、事前に予約をすれば見学が可能である。各住戸は家族用、単身用と複数の間取りがあるが、その多くがメゾネットタイプ。とはいえ戦後の復興計画として、中低所得者に向けて作られた住まいなので決して豪華なつくりではない。それぞれの部屋はコンパクトだが、収納やキッチンなどが機能的につくられている。
どれも、コルビュジェが発明した独自の基準寸法「モデュロール」を適用してつくられたものだ。南北を軸にした細長い建物なので、メゾネットタイプの場合、東西両側からの光を受け室内は明るい。東のバルコニーはマルセイユの町を見下ろし、西のバルコニーからは海が見える。見学した部屋は当時のままの間取りだが、分譲されている別の部屋は室内を改装して住んでいる人もいるらしい。
最後はエレベーターで屋上へ。コルビュジェがこの建物全体を大きな船に見立てたという話に、ここで納得。地上56mの屋上からは、海も山も見下ろすことができ、巨大な船の甲板に出たときのような爽快感だ。プール(保育園の子供たちと住人にのみ開放)や集会場、ランニングのためのトラックなどがあり、ここも「町」のコミュニティスペースとなっている。この屋上からマルセイユの町を眺めてこそ、コルビュジェの目指した本当のユートピアを実感出来るだろう。
◆マルセイユ観光局(ツアー申込はこちらから、おとな一人10ユーロ)
◆ホテル・ル・コルビュジェ(一泊74ユーロ~168ユーロ)
レリソン田島靖子
日本の出版社での雑誌編集を経て、現在フリー。2018年より南仏エクサン・プロヴァンス在住。月刊『美術の窓』(生活の友社)にて「ハリネズミのときどきパリ通信」連載中。海外書き人クラブ会員。