海外トピックス

2019/11/1

vol.362 高層団地に9割が暮らす、過密な都市国家の住宅事情【シンガポール】

 東京23区ほどの国土に564万人あまりが暮らす都市国家シンガポール。華人(中国人)が74%と過半数を占めるが、マレー系、インド系のほか多数の外国人が住む、民族と言語、宗教が入り交じる複合社会だ。
 算出方法によっても異なるが、国連統計によるとシンガポールの人口密度は世界第3位。国土が狭く地価が高いので、庭付きの一戸建ては日本円にして億単位で、元からの住民を除いて富裕層でもなければとても手が届かない。

劣悪な住宅事情を改善した公共住宅HDB

MRT東西線の終点パシール・リス駅周辺のHDB住宅群。手前に低層の住宅も見える

 多くの人びとが暮らすのは10階以上の高層住宅で、全体の約8割超が「HDB住宅」とよばれる住宅開発庁 (Housing Development Board; HDB) の団地に住んでいる。
 第二次世界大戦後、イギリス統治下にあったシンガポールでは、過密な人口に対して住宅の供給が追いつかず、居住環境は劣悪だった。HDBは危機的な住宅不足を解消するために、シンガポールがイギリスから自治権を得た翌年1960年に設立された。

繁華街オーチャード通り付近には、旧来の一戸建てを取り囲むように新しい高層コンドミニアムが立ち並んでいる

 シンガポールの高層団地では20階以上も珍しくない。最近では中心部のタンジョン・パガーに50階建ての超高層住宅もできて話題になった。HDB住宅の間取りはストゥディオとよばれるワンルーム・タイプから5LDKまであり、家族の人数や世帯所得に応じて選ぶことができる。

 HDBでは人口比率に応じた居住比率が設定してあり、華人、マレー人、インド人が混じって住んでいる。購入できるのはシンガポール国民と永住権をもつ外国人の成人(21歳以上)で、入居者が複数なのが原則。単身者は35歳以上、ストゥディオ・タイプは55歳以上でなければならず、高所得者は申込み資格がないなど細かい条件がある。シンガポール人の持ち家比率は高く、HDB住民の9割が購入している。外国人の場合は、賃貸で入居することができる。

プライヴァシーや安全性を重視した民間コンドミニアム

HDB住宅の居住階。各戸の玄関には防犯のため、ドアの前に「グリル・ドア」(焼き網のこと)とよばれる鍵付きの鉄格子がつけてある
民間コンドミニアムの正面玄関には守衛室がある。訪問者は、ここで訪問先を申し出て身分証明書などを提示する

 外国人やシンガポール人富裕層など、全体の1割程度はコンドミニアムとよばれる民間の集合住宅に住んでいる。HDBと比較した場合、正面玄関に守衛が常駐している、プールやスポーツジムなど付属施設が充実しているのが特徴で、低層の住宅も人気がある。

 コンドミニアムにはHDBのような購入時の制約が少なく、居住環境もよいので、裕福なシンガポール人は好みの住居を選ぶほか、投資物件として購入することも多い。外国人駐在員は、賃貸で入居している。

コンドミニアムの敷地内にある住民専用プール

張り巡らされた交通網と団地群

 公共交通が発達したシンガポールでは、渋滞を防ぐ目的で自家用車の所有が規制されている。電車MRTは現在5路線あり(新規2路線が計画中)、一日300万人が利用している。MRTの駅からは、路線バスやLRTという短距離の電車に乗り継ぐことができる。
 住宅地ではこのMRT 駅が地域の核になっていて、スーパーマーケットで食材や日用品を買ったり、フードコートで食事をしたりするほか、銀行や郵便局で用事を済ませることもできる。

 駅周辺には公共図書館やコミュニティセンター(公民館)、公園など公的な施設のほか、学習塾や病院などもあるのが特徴で、日常の用事はほぼ駅周辺で足りる。MRT駅と人びとの住む団地群とは路線バスで結ばれていて、団地の街区内にも停留所がある。

公共図書館。周辺住民に子どものいる若夫婦が多いことから、子ども向けの絵本や子育てに関する本が英語、華語、マレー語で用意されている

高層団地生活の実際

自室に洗濯機がない住民が利用するコインランドリー。40分のコースで11kgの洗濯物を洗って5シンガポール・ドル(約400円)

 ベランダがないタイプのHDB住宅では、晴れた日に窓の外に物干しを付き出した洗濯物がひるがえる光景が見られる。「シーツを干そうとしたら、風にあおられて飛ばされそうになった」という話も聞いたが、男性でもかなり力が要るものらしい。最近は、レバーで簡単に操作のできる、可動式の物干し竿も増えてきた。

古いタイプのHDB住宅にはベランダがないので、竿を窓から外に出して洗濯物を干す
コンドミニアム前の道路に落ちていた片方の靴。高層階だと、地上に落とし物を拾いに行くのも一苦労

 高層生活で怖いのは、落下物だ。暴風雨のときに物干し竿や植木鉢が落ちてくることもあるが、マナーのよくない住人のごみ投棄も問題になっている。高層階からのごみの投棄は年間2300~2800件あり、多くはたばこの吸殻や飲みものの空き缶やペットボトルだが、地上階までエレベーターで下ろすのを面倒臭がって大きなものを窓から捨てる「殺人ごみ」によって、地上を歩いていた住人がけがをしたり死亡する事故も起きていて、政府は監視カメラを増やして防止策を練っている。

 共働きの多いシンガポールでは、フィリピンやインドネシアなどの外国人メイドを雇う家庭も少なくない。雇い主に高層階の窓ふきをさせられていたメイドが転落する事故も相次いで、社会的な関心をよんだ。

団地街で過ごす、都市型の週末

シンガポール人が「ないと困るもの」の筆頭にあげる集合屋台のホーカーズ。団地街には必ずあり、民族によって違う食習慣にも配慮されている

 日曜日、にぎやかな音楽が聞こえてきたのでのぞいてみると、HDBの1階にある共有スペースで催しが行われていた。ここは柱だけある開放的な空間で、地域の集まりのほか、住民の結婚式や葬式が行われることも多い。

HDB住宅の敷地には遊具を置いた広場があり、団地の子どもたちはここで遊びながら育つ

 熱帯に位置するシンガポールでは、日中は30度を超える日が続く。団地の敷地内には遊具を置いた遊び場もあるが、外遊びは子どもたちにとって快適とはいえない。休日に、駅の近くにあるコミュニティセンターのプールやスポーツジムに出かけたり、商業施設内にある有料のプレイグランドで子どもを遊ばせる若夫婦も少なくない。

 MRT駅の近くに公園がある地域では、ジョギングやサイクリングを楽しんだりする人もある。都市型の週末を過ごすのがシンガポール・スタイルだ。

MRT駅からも近い公園。釣り堀もあり、近隣の団地住民たちがのんびり魚釣りを楽しんでいる。池の向こうには高層住宅群が見える

川崎 典子
編集・ライター。マレーシアを中心に、東南アジアの社会や生活文化について取材、寄稿中。大学では国際関係論を専攻。卒業後、勤務した出版社でアジア関連の書籍を編集するうちにアジアに惹かれ、退職して1年超の旅行を経験。アジアを中心に、これまで約20か国を訪問。国際協力NGOの東京勤務を経て、現在は東南アジア在住。「海外書き人クラブ」所属。

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