個人投資家が著書を発行するその目的は?
大型書店のみならず、小さな書店にさえ、個人投資家がユーザー向けに書いた「不動産投資本」が平積みされている。そのような本を集めた特設コーナーを設けている書店も少なくない。とはいえ、ベストセラーになっているものはごくわずか。それでもこうした「不動産投資の指南書」は次々と発行されている。 いったい、この類の書籍はいつ頃から世に出回っていて、どのくらいの数が出版されているのだろうか。そして、なぜ個人投資家は本を発行するのか? 今回はそんな話をしてみたい。
もっとも古い「不動産投資の指南書」は戦後復興期に発行
著書を持つカリスマ不動産オーナーは少なくないが、特に、最近目にすることが多いのが、「サラリーマン大家」や「脱サラ大家」の不動産投資に関する本。
その多くが、自分が不動産投資をはじめたきっかけを語り、自身の不動産投資遍歴を披露。そこから編み出したオリジナルの投資手法やベンチマーク、不動産投資に必要な知識などについて紹介している。
仕事柄、そうした本を拝読する機会に恵まれているのだが(お送りいただいた皆さま、本当にどうもありがとうございます)、近頃、その数が急増しているように感じており、ふと、日本で初めて「不動産投資の指南書」が発行されたのはいつ頃で、これまでにどれくらいの数が出版されているのか気になり、国会図書館の蔵書を調べてみた。
記者が調べたなかで、もっとも古いと思われるのは、実業乃日本社から1952年に発行された『不動産投資の仕方』。著者は不動産経済研究所所長の玉塚締伍氏とある(不動産経済研究所といえば、今では景気指標の一つにもなっている分譲マンションの市場動向調査でおなじみの会社があるが、この会社とは無関係らしい)。
1952年といえば、第二次世界大戦の講和条約が発効してGHQが廃止となった年。吉田政権が皇居前の「人民広場」を使用禁止したことへの抗議活動から発展した「血のメーデー事件」が発生し、不二家のミルキーが16粒20円で発売され、今、高齢者不在問題で何かと話題な住民登録制度が実施された、戦後の復興期にあたる。
同氏の著作は他にもあり、例えば、『誰でもできる不動産金融の仕方』『誰にでもわかる土地家屋担保の話』といったものも。今でも本屋に並んでいそうな書籍タイトルだが、それぞれの発行年はなんと1930年と33年、つまり戦前である(!)。
さらに、特筆しておきたいのが、同氏が35年に出している書籍『家主読本』だ。
近代的な「家主業」に向けた、かなり早い時期に発行された本であることは間違いない(ひょっとして、これも日本初かも?これはまた別途、家主業の成立ちや歴史といったものとともに、調べてお知らせしたい)。
第二次世界大戦後にも著書を出した同氏。大きな時代の動乱期を挟みながらも、書き伝えようとした姿勢と熱意、その先見性に、敬意を表したい。
発行冊数が多い年とバブルのピークはほぼ一致している!!
さて、話は元に戻って、発行年別の出版数をみてみたい(図表参照)。
アマゾン等で検索してみると何千冊もあるようなので、とりあえず、国会図書館の蔵書のうち、タイトルに「不動産投資」を含む本が毎年どれくらい発行されているか調べてみた。
おそらく、「不動産投資」のキーワードがタイトルに入っていなくても不動産投資に関する内容の本はあるだろうし、逆にこのキーワードが入っていても不動産投資指南を意図していないものもあるだろうから、あくまでも、大まかな傾向として捉えていただきたい。
ただ、その大雑把なデータからでさえ、あることが発見できた。
国会図書館の蔵書のうち、「不動産投資」をタイトルに含む書籍は169冊あったが、そのうち、もっとも多く発行された年は2006年で21冊、続いて05年の18冊、09年の16冊、08年の14冊と続く。
グラフをみるとよくわかるが、86~91年あたりに小さな山が一つでき、97~2010年には山脈ができている。
この「小さな山」と「山脈」をみて、あることに気づかれる方も少なくないだろう。そう、「小さな山」は以前の不動産バブル、そして「山脈」は最近の不動産ミニバブルの時期と、ほぼ重なっているではないか。
以前の不動産バブルは1980年代後半、最近の不動産ミニバブルは2007年頃といわれている。
つまり、不動産投資に関する本が徐々に出版されはじめると、バブルも盛り上がりをみせるのだ。
もちろん、出版社や著者が、意図的にバブルを引き起こそうとしているわけではない。
しかし、こうした状況が何を示しているのか、すでに読者の皆さんはおわかりではないだろうか。
本を発行するのは、「自己表現」のため?
そもそもなぜ、個人の不動産投資家が次々と著書を出版するのか。
記者は著書を執筆した経験のある複数の不動産投資家に、なぜ本を出版したのか、その動機を聞いてみた。
大多数は「編集者に(まだ日本では稀少といえる)自分の経験を世の中に広く紹介するよう勧められて」というもの。
しかし中には、「自分はこうやって生きるのよ、という自己表現の一つ」「貧乏だった自分がこんな生活ができるようになった、世間を見返したい、という思いから」という意見もあった。
また、「不動産投資本を読んでもらって、市場参入者が多くなれば自分が保有する物件の潜在価値が高まることになる。そのほうが売却する際も楽」などと本音を話してくれた人もいた。
本を出したからといって、インカムゲインが安定化するわけでも、すぐさまキャピタルゲインが狙えるわけでもない。しかし市場が醸成されて需要が高まれば、ひいてはそれが自分の利益になる、というわけである。
投資本が売れる理由は、日本人のお金に対する無知ゆえか
投資の世界、もとい、金融の世界、いや金利というものは、経済が右肩上がりに成長することを前提としている。
しかし現実問題、「経済成長し続ける社会」というのはありえない。すでに成長してしまった社会はゆるやかな継続社会へと移行するが、その際、投資マネーは行き場を失い、そのため新たな投資先を求めて「(経済的に)未成長の」社会や技術へ流れていく。
大きな利益を得た経験のある投資マネーは、その利益の大きさに味をしめ、投資を繰り返す。すると、不思議と引きずられるように次々と投資が促され、多くの経済指標数値は伸び、そしてそれが再び投資を牽引していく。
まだ投資余地のある「未成長の」社会があるうちはその方法でも何とかなるかもしれないが、もしそうした社会がなくなったとき、IT産業のように、人間の生活をガラリと一変させるような、よほど大きくて新しい産業が生まれ、社会構造が変化して、富が移動して、そこに投資をしていた…という状況等でない限り、なかなか大きな利益を得ることは難しい。
または、度々非難されているように、経済原理のために無理やり戦争を勃発させる…しかないのである(しかしこれは決して引き起こされるようなことがあってはならない)。
つまり、投資マネーが過度な成長とリターンを求めるかぎり、実質経済との乖離を「調整する」ため、「バブル崩壊」のような経済混乱が発生する宿命にあるのではないだろうか。
しかしそうした、経済構造はなかなかつかみにくいし、学校ではそこまで気づかせてくれない
以前も同コーナーで指摘したが、日本の学校教育ではお金と不動産について教えないことが多い。
しかし、今の経済社会は需要と供給だけで成り立ってはおらず、「投資」という視点を持たなければ、説明がつかないことが多すぎる。また、個人の生涯におけるもっとも高い買い物・支出の一つが不動産の購入や賃借であるが、いざ個人がそうした行動に出ようとするとき、一から勉強しなくてはいけない(本来、消費者が基礎的な知識を持っていれば、宅建業者はコンサルティングに集中することができる)。
そうした「お金」と「経済」の動き、「不動産」に対して自分は無知であるという、そこはかとない不安が、不動産投資本の購買行動の背景の一つにある、と記者はみている。
だからこそ、多くの個人を投資の世界に引き入れたベストセラー本『金持ち父さん、貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著)を読んだ読者の多くは、目からウロコが落ちた。
お金は、自分が消費するモノやサービスを購入するためだけに存在しているのだと思っていた読者は、「お金にお金を稼いでもらう」という、「新しいお金の使い方」を初めて知り、衝撃を受けたのだ。
しかし、大事なのはそこから。
そうしたお金の使い方もあると知ったうえで、「では自分はどうするのか」ということだ。
「人の住まいはその人を表す」ではないが、お金の使い方もその人を表すのである。
その点に留意しておけば、投資家は本来の投資ポリシーを忘れたために生じた損失を抱えて後悔することはないだろうし、本来投資をしたくない人が変にブームに巻き込まれることはないのではないだろうか。
と、不動産投資本の出版ブームを感じて、つらつらと思った次第。(ひ)