記者の目

2013/6/14

大家の想いがあふれる賃貸住宅

築45年の「昭和レトロ」賃貸に人が集まる理由とは?

 福岡市におけるリノベーション事業の先駆者として知られる吉原住宅(有)(福岡市中央区)。中でも、築年数の経った古い建物の良さを生かし、魅力ある「ビンテージビル」へと再生した「山王マンション」「冷泉荘」などのリノベーションは話題を呼んだ。「山王マンション」は、全44戸中33戸がクリエイターによるリノベーション空間として生まれ変わっており、「冷泉荘」はカルチャー教室や居酒屋、SOHOなどが集う「リノベーションミュージアム」としてまちの活性化に貢献している。  そんな同社が2009年から手掛けている築45年の「玉川ビル」(福岡市南区、総戸数30戸)もその一つ。ここでのリノベーションの最大の特徴は、「オーナーの想い」を最大限に反映していることだという。リノベーションを終えたばかりの居室を見学させてもらった。

築45年の昭和レトロが漂う「玉川ビル」外観。夜になると大きなハロゲンライトが点灯し、駐車場を明るく照らす
築45年の昭和レトロが漂う「玉川ビル」外観。夜になると大きなハロゲンライトが点灯し、駐車場を明るく照らす
エントランスの花壇にはオーナーが手入れする四季折々の花が咲き、通行人の目を楽しませている
エントランスの花壇にはオーナーが手入れする四季折々の花が咲き、通行人の目を楽しませている
テナント・入居者が使用できる1階の共同トイレ。花を絶やさないよう1階テナントに入居のとんかつ屋「かつ新」さんが常に気遣っている
テナント・入居者が使用できる1階の共同トイレ。花を絶やさないよう1階テナントに入居のとんかつ屋「かつ新」さんが常に気遣っている
建物の歴史を感じさせる年代モノのメーターボックス
建物の歴史を感じさせる年代モノのメーターボックス
こちらも年代を感じさせるダストシューター。昔は普通に使用していたが、現在は危険防止のため封鎖されている
こちらも年代を感じさせるダストシューター。昔は普通に使用していたが、現在は危険防止のため封鎖されている
オーナーの事務所横に貼られている「入居者へのラブレター」。入居者とのコミュニケーションを大切にしているオーナーの人柄が分かる
オーナーの事務所横に貼られている「入居者へのラブレター」。入居者とのコミュニケーションを大切にしているオーナーの人柄が分かる
駐車場にある花壇も手入れが行き届いており、入居者の気持ちを和ませる
駐車場にある花壇も手入れが行き届いており、入居者の気持ちを和ませる
今回リノベーションした702号室。玄関ドアや窓枠の塗装はオーナーの仕事。黙々と作業しているオーナーに「はい、どうぞ」と金平糖を手のひらに載せてくれる入居者もいるのだとか
今回リノベーションした702号室。玄関ドアや窓枠の塗装はオーナーの仕事。黙々と作業しているオーナーに「はい、どうぞ」と金平糖を手のひらに載せてくれる入居者もいるのだとか
リノベーション前の居室
リノベーション前の居室
中心にある収納を囲む壁面を軸に、居室全体が1つにつながるイメージに。壁・床の流れが見ていて楽しい
中心にある収納を囲む壁面を軸に、居室全体が1つにつながるイメージに。壁・床の流れが見ていて楽しい
この部屋の最大の魅力、「窓から見える山々の風景」と「南側の明るい光」が生かされた部屋に生まれ変わった
この部屋の最大の魅力、「窓から見える山々の風景」と「南側の明るい光」が生かされた部屋に生まれ変わった

◆オーナーの人柄に魅力を感じて…

 まずは「玉川ビル」がどんな賃貸住宅なのかを紹介しよう。

 1968年築、鉄筋コンクリート造7階建てで、1階にはテナントが入居。共用部は、年代モノのメーターボックスや1枚扉のエレベーター、現在は使用していないダストシューターなど、ところどころに当時の建物の特徴が残っていて、何ともレトロな雰囲気を醸し出している。
 正直、設備の老朽化は否めないが、1室を除いてほぼ満室状態。それもそのはず、居住者は目新しさなど求めていない。オーナーの人柄に魅力を感じ、中には40数年も住み続けている住人もいるのだとか。

 オーナーは2代目。別の場所に住んでいるが、ビル内に構えた事務所に毎日通っているという。その事務所の横には、入居者への連絡事項を記した貼り紙(“入居者へのラブレター”と呼んでいるらしい)を頻繁に掲示している。
 オーナーの基本理念は、「いつも明るくきめ細やかに」。数ある賃貸住宅の中から「玉川ビル」を選んでくれたご縁を大切に、できるだけ快適な生活を送ってもらいたい…。そんな想いから、エントランスのメールボックスやゴミ集積場、駐車場、ビル前の道路などはいつもきれいに清掃。モップを持っていつもうろうろしているらしい。ちなみに、玄関ドアの塗装とベランダの防水塗料塗りは、内覧会前に必ずオーナーが行なっている仕事だ。
 
 2011年6月からはブログを開始。同ビルの空室案内やリフォームの進捗状況を知らせることを目的に始めたが、オーナーの日常の出来事なども綴られており、人柄がうかがえる内容となっている。実際、内覧会を訪れる人の多くがブログを見ており、立ち会っていたオーナーのことが気に入って即決する人も少なくないという。

 「共用部で会えば話をして、ちょっとした出来事や悩みを共有できたら嬉しい」。オーナーは何より、入居者とのつながりを大切にしている。
 こんな話があったとか。ある日、夜遅くに入居者から電話があり、オーナーはとっさに「水漏れでもしたのか…」と心配に。ところがその内容は、他の入居者の停めている車の車内ライトが付きっぱなしで、バッテリーが上がるといけないので電話した、というものだった。きちんと連絡をくれたことに、オーナーは大感激。普通なら「この持ち主かわいそうに、バッテリー上がるね」で済ませてしまいそうなところだが、普段からオーナーと入居者、そして居住者同士のコミュニティがうまく機能しているからこその話だろう。

◆「丘陵」をイメージしたリノベ部屋

 さて、同社がオーナーから初めてリノベーションを依頼されたのは2009年のこと。空室になったらリノベーションを依頼されるという形で、これまでに8例を手掛けてきた。
 依頼された当初からすでに、玉川ビルには「顔が見える」「人がふれあえる」魅力的な素地があった。そこで同社は、これからも入居者に愛される居心地の良い空間を目指したコンセプトを提案することを心掛けたという。すべての居室において、オーナーの人柄が伝わるよう、使いやすい間取りと自然な印象を与える内装に仕上げている。
 オーナーの「毎日を快適に過ごしてほしい」という想いに応え、決して華美ではないが、建物の良さを生かすリノベーションを心掛けているという。

 さて、今回依頼された36平方メートルの居室はどう生まれ変わったのか。
 コンセプトは「丘陵」。リノベーションを担当した、同社運営(株)スペースRデザインのデザイナー・森岡陽介氏によると「窓から見える山々の風景、南側の明るい光、この2つが最大の魅力。初めて居室を訪れたとき、『丘陵』のイメージが生まれた」そう。
 まず、押入れを移設し2DKを1LDKに変更。中心にある収納を囲む壁面(丘陵)を軸に、居室全体が1つにつながるようにした。玄関から斜めに貼った床の方向へと進むと、DK、バルコニー、隣のワンルーム、そして最後に視線が窓の先の山々へ向かうような仕掛けになっている。
 レトロなドアノブなど、もともとあるいいところは残しつつ、モニター付きインターフォンを新設するなど、設備面はしっかりカバーした。

 「室内に丘をつくり、その丘と窓の外の景色がつながって、心地良い空間になったと思う。この場所でしか成り立たないデザインの中で、どんな人がどんな生活を送るのかとても楽しみです」(森岡氏)。

◆その先にあるリノベーションの姿を求めて

 福岡におけるリノベーション事業のパイオニアとして、これまでさまざまな事例に挑戦し、着実に実績を積み上げてきた同社。昨年末には自社ビル「山王マンション」で、4戸を4名のクリエイターがリノベーションし再生するプロジェクト「続・山王R ~NEW STANDARD RENOVATION ~」を実行したばかり。日々変化するユーザーの価値観をとらえ、近い未来5年後の賃貸不動産のスタンダードを確立していくのが目的だ。

 しかしその一方で、同社代表取締役の吉原勝己氏は「リノベーションだけで賃貸経営が改善するのではなく、むしろソフト面の充実のほうが大事。玉川ビルのオーナーが実践していることは、昔は当たり前のことだった。その当たり前のことを当たり前にやることが、これからの時代には必要なのではないか」。そう考えるようになったという。

 「いろいろなリノベーションを手掛けてきたからこそ、“自然体のままでいいのではないか”という想いが浮かんできたのかもしれません。これからのリノベーションの姿はどうあるべきなのか、そして賃貸経営はどうあるべきなのか。リノベーションが浸透してきた今、それらの本質が問われていると実感しています」(吉原氏)。
 さまざまなジレンマを抱えながら、日々あるべき姿を求めている吉原氏のチャレンジは続く。(I)

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テナント間で『向こう三軒両隣』」を更新しました。ご近所さんと助け合いながら暮らす大切さや文化を表す言葉、「向こう三軒両隣」。近年この言葉が、商業施設のテナント間でも意識されるように。ビジネスライクな関係性を抜け出し、有事の際にも備えた関係性構築の大切さが再認識されています。