入居者専用食堂「トーコーキッチン」とは?
粒の立ったご飯、うまみたっぷりの豚汁、優しい味のチキンカチャトーラ(鶏肉と野菜のトマト煮込み)…今回の取材先で食したものだ。しかし、今回の記事は“食レポ”にあらず。神奈川県相模原市に店舗を構える(有)東郊住宅社(代表取締役:池田 信氏)は、管理物件の入居者とその同伴者のみが利用できる“クローズド”な食堂、「トーコーキッチン」(神奈川県相模原市)をオープンした。その狙いは? 効果は? レポートする。
◆他社との差別化へ“入居者専用食堂”をオープン
神奈川県相模原市。JR横浜線「淵野辺」駅界隈は、横浜や東京へ通勤する人々が多く居住するベッドタウンであり、青山学院大学や桜美林大学など、複数の大学・研究機関が地域に立地する学生のまちでもある。ここで1,600室を管理するのが、東郊住宅社だ。
同社が食堂を開設したそもそものきっかけは、“同社が管理することの差別化をいかに図るか”を検討したこと。「当社は以前から“礼金0、敷金0、退去修繕義務なし”を実践していました。しかし今ではそれも当社のアピールにはつながらなくなり、当社ならではの特徴・魅力を模索する必要に迫られる中、食堂開設の発想に至った」と語るのは、同社取締役の池田 峰(みね)氏だ。
学生に部屋を紹介すると、特に女子学生では一般物件か、管理人常駐で食事も提供される学生物件(学生会館)かで悩む人が多かった。「家族と離れて初めての一人暮らし、食事については、本人はもちろん、親御さんも心配するのは当然で、食事が提供される学生物件の安心感は強力です。」(池田氏)。
それが2013年頃から、男子学生でもその選択で悩む人が増えてきたという。さらに経済環境の変化で、家庭の可処分所得が低下。そのため家賃+食事の費用上限が確定するという点でも、学生物件を評価・選択する人が増えた。
「その状況は脅威でしたが、一方で、入学後に友人ができ、学生物件で食事をとらない機会が増えると、固定で食費を払っている学生物件ではその費用が“無駄”となる点も気になった。それだったら、一般物件で美味しくて安い食事が提供できればおもしろいことになるのではないか。そう考えたのです」(同氏)。
◆朝定食は驚きの100円!しかも税込み!
これまで飲食店の運営経験がまったくない同社だったが、食堂開店に向けて動き出した。同社が管理するある飲食店のテナントにこの構想を持ちかけたところ、無事賛同を得ることができた。そこで店舗をリニューアルし、15年12月27日にオープンしたのが、「トーコーキッチン」だ。
入店するには、同社が管理物件に使用している“カードキー”でカギを開けて入るシステム。カードキーは入居者のみならず、オーナーや取引先従業員などにも提供、食堂の利用を可能とした。またそれぞれの同伴者も人数制限なしで入店がOKだ。
営業時間は8~20時。朝、昼、夜と定食を中心に提供している。ある日の朝食メニューを紹介しよう。
・だし巻き卵
・(おひたしや煮物などの)副菜2品
・豚汁
・ご飯(雑穀米・白米から選択)
これが、税込み100円である。ちなみに昼と夜も、500円で定食を提供してりおり、その他メニューも600~700円という価格設定だ。
もちろん、安かろう、悪かろうではない。化学調味料やレトルトは使用せず、地元で採れた野菜も可能な限り取り入れて調理。定食は日替わりでメニューを用意する。
定食以外にも、社長のレシピのスープ「カレー会長」(500円)、池田氏が奥様をこの味で口説き落としたというハヤシライス「ハヤシ社長」(500円)など、おもしろ定番(?)メニューも用意。料理は、シェフ歴17年の調理人がすべて手作りする。
サーブするスタッフの接客も、一般の食堂とは違う。採用に当たり、入居者や関係者を中心に募集をかけ、さらに“人当たりの良さ”を中心に選考。積極的に会話を交わすこと、来店者といわゆる“なじみの関係”になるよう努力すること(おなじみさんには、大盛りにするなどのサービスもスタッフ判断でOKとしているそう)など、来店者とのよりよい関係構築を念頭においた接客を徹底している。
注文は、注文者がカウンター近くにある注文票に自ら書き込み、スタッフに渡すシステム。これも、スタッフと来店者の接点を増やすための仕組みだ。できあがった食事も、客が自分で取りに行くことで、オペレート人員削減にもつなげた。
同食堂の原価率は、飲食店では常識破りの4割超。ちなみに売り上げ増で利益が増えた場合、その分は食材費に回すこととしているため、「たくさん食べにきていただければ、さらに充実したメニューが提供できる、ということになります」(同氏)。
池田氏は、他に所用がない限りは食堂に顔を出す。そして、次々と来店する客に声をかける。
「どう、美味しい?」
「どこの大学?友達も連れておいで!」
「住み心地はどう?不具合はない?」
そこには、不動産会社と入居者という関係からイメージする会話ではないコミュニケーションが生まれている。
◆「トーコーキッチン」利用を目的に部屋探しをする人も
こうして、オープンから約4ヵ月が過ぎたが、さまざまな効果が確認されているという。
まず、トーコーキッチンの利用を前提とした部屋探しを行なう学生が出てきたこと。
「これまでは、家賃や学校・駅までの距離が部屋探しの基準となるケースがほとんどでした。今年は、『トーコーキッチンへの行きやすさ』も含めて部屋探しを行なった学生が現れました」(同氏)。
これにより、例年は反響がにぶいエリアの物件でも、駅や学校へのルート上にトーコーキッチンのある物件で早々に入居が決まったケースが続出。オーナーにも大変喜ばれたという。
そして、更新時を含め、家賃の値下げ交渉を求められるケースが明らかに減ったこと。「顔と顔を合わせてのコミュニケーションがきちんとできているおかげだと思います。また当社がこのようなの取り組みを積極的に行なっていることに対する信頼もあるのでしょう。今年の春のシーズンは、家賃の減額交渉がほぼ皆無でした」(同氏)。
日に2食・3食食べに来る常連の姿も見られるようになり、思わず池田氏が「『たまには外で友達と食事した方がいいよ』と言ってしまったことも(笑)」あるとか。
こうして、わずか4ヵ月であるが、トーコーキッチンやスタッフを中心とした放射状のつながりができつつある。来店者同士の横のつながりについてはまだ見られないというが、「それをつなげるような働きかけが必要があるかも含めて検討し、必要であれば、われわれがバックアップしていきたいと考えています」(同氏)。
また持ち帰りやケータリングを要望する声も聞かれるそうだが、まだオープンしたばかりということで、着実に足元を固めてから、課題や対応を検討していく考えだ。なおケータリング実施が実現した暁には、高齢入居者の見守り・健康維持を支援するサービスとしても機能させたいという。
たかが食堂、されど食堂。食とは、その人間関係までも変化させるということに大変驚いた。今後、ここを舞台に、一体どのような“化学変化”が続くのか。期待し、そして見守っていきたい。(NO)